| 現在、常陸那珂港が立地する常陸那珂地区は、第2次世界大戦後アメリカ軍に接収され、対地射爆撃場として使用されていましたが、昭和48年3月、日本に返還されました。 当時、茨城県をはじめとする北関東地域(茨城県、栃木県、群馬県)の貨物の流動は、北関東諸港(日立港、大洗港、鹿島港)と後背地を結ぶ交通網および北関東諸港のインフラ整備が弱体であるため、京浜諸港に依存せざるを得ない状況になっていました。 返還後、国の第3次全国総合開発計画、首都圏整備計画、第2次茨城県民福祉基本計画等において射爆撃場跡地の総合的利用計画が検討され、流通拠点としての港湾および国営公園等の建設事業を中心的なプロジェクトとした位置付けがなされました。 茨城県では、常陸那珂地区を流通港湾や留保地における工業団地造成、土地区画整理事業により快適な職場環境の場を融合させた「ビジネス&プレジャー」を実現し、国際港湾公園都市として整備を進めるものとして位置付けられました。 常陸那珂国際港湾公園都市の中核施設である常陸那珂港については、昭和58年3月港湾区域の運輸大臣認可がおり、地方港湾常陸那珂港が誕生し、引き続き重要港湾として政令指定されました。 北関東諸港の中心的役割を担う常陸那珂港に対しては、各地の機能分担を図りつつ、北関東自動車道の整備とあいまって首都圏全体の物流体系の合理的再編および北関東地域の均衡ある発展に寄与し、併せて、地域経済の基盤となり、世界に開かれた大規模な物流ターミナル基地となるよう大きな期待が寄せられています。 |
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